エッセイ

ウィスキーとオートバイ

若い頃に夢中になることに理由はない。衝動があるだけだ。

僕の20代の10年間はトライアルというオートバイ競技だけをして過ごしていた。チャンピオンに手が届きそうだったわけではないのだか、とにかくそれだけを真剣にやっていた。なぜそんなことをしていたのかはわからない。

「そんなことをしていてなにになるの?」

「定職につかないで将来はどうするの?」

両親はいつも心配していて、顔を会わせるたびに聞いてきたが、そんな言葉は耳には入らなかった。レースの資金を稼ぐためにアルバイトをいくつも掛け持ちして忙しかったし、どうしたらオートバイを上手に扱えるようになるのかということにしか関心がなかった。

何を目的に走っているのか、いったい終着点はあるのか、何もわからないで走っていた。

 

トライアルの本場はヨーロッパだ。28歳の年の5月、僕はイギリスの北部に位置するスコットランドの荒野にいた。100年以上も前から毎年5月の初めにこの地で行われているSSDT(スコッティッシュ・シックス・デイズ・トライアル)に出場するためである。

 4月の下旬からイギリスに渡り、往年のヨーロッパ・チャンピオンで、その昔、日本に本場のトライアルを伝えてくれた恩人でもあるミック・アンドリュースの家を訪れた。そこに僕がSSDTで乗ることになっているマシンがイタリアのファンティック社から届けられているはずだ。

 ミックの家はロンドン郊外の、のどかな風景の中にあった。羊が放牧されている牧場の塀も、広大な屋敷も、すべてが石を積んでできていた。石積みのガレージの中ををミックに案内されて入ると、奥には新車のファンティック245が僕を待っていてくれた。ミックの工具を借りてセットアップをする。ハンドルやブレーキペダルを自分に合ったサイズに切り詰め、タイヤをレース用のものに交換し、ヘッドライトを取り外してそこにSSDTのゼッケンを取り付けた。

ふと、ガレージの反対側で作業していたミックのマシンに目をやると、そこでもSSDTのゼッケンが取り付けられていた。僕は、ミックをもう引退した昔のライダーだと思っていたので、彼がその年齢(多分50歳前後)であんなに過酷なレースに出るということに驚いてしまった。憤慨したミックは、

「若いパワーが必要な世界選手権はもう無理だけど、SSDTはそんな若さだけでは太刀打ちできない種類の過酷さがあるんだ。それを乗り越えるのに必要なものはパワーではない。経験と知恵だよ。だから俺のような年でも優勝の可能性はあると思っているし狙っているよ。それより、若くてもお前のようなモータースポーツの歴史のない日本人には厳しいと思うよ」と話してくれた。

なるほどSSDTのリザルトを見ると、毎年、世界ランカーに混じって地元の無名ライダーが上位に食い込んでいるのはそういうわけか。全日本トライアルの三年連続チャンピオンがSSDTに挑戦して三年連続リタイアに終わっていることを思い出した。

「歴史が違うんだよ」と言われて、石造りの広大なガレージが目にはいってきた。

「それにしてもすごい家ですね。何年くらいたっているんだろう」

「知らないけれど、オレの前にはナイチンゲールが住んでいたこともあったらしいよ」

「ナイチンゲールってクリミア戦争の?」

歴史に目眩がした。

 

それからトランスポーターにマシンを積み込んでSSDTの行われるスコットランドのフォートウィリアムという港町まで2日間かけて走った。フォートウィリアムを中心に毎日違ったコースで6日間走るのがSSDTだ。

北上するにつれて森林が減り、景色が開けていく。気温が低すぎて大きな植物は育たないのでスコットランドの原野に森はない。ヒースという背の低い植物が茂っているが冬に枯れても寒さで分解せず泥炭(ピート)となって堆積している。

そのようなムーアと呼ばれる原野の中に大きな岩がゴロゴロ転がる沢が点在しているのだけれど、普通はオートバイで走れるとは思えないそのような難所を通過しなければならない。その難所は「セクション」と呼ばれ、そこをクリアできるかどうかで競技の優劣は決まる。オートバイで走れそうもないところを走るために、マシンの信頼性とともにライダーのテクニックとタフさが要求される。トライアルマシンは、そのような難所をクリアするために車体は軽量化され低速走行に合わせてセットがされるのだが、そのため高速走行は苦手だ。SSDTは、そんなマシンでもフラットな路面であれば時速100km以上のスピードで走行することを要求してくる。セクションでの泥や岩でタイヤのグリップを得るために極限まで空気圧を落としたタイヤは高速コーナーでは簡単にスライドしてしまうし車体も暴れるがそれを気にしてスピードを緩めたりはしない。日本では見られない光景だ。

 そのようなコースを1日160km以上走り、それが6日間続くのだからマシンの消耗は激しい。

毎朝、スタート前に整備をする時間が与えられる。二日目には消耗して角の落ちたリアタイヤを外して前後の向きを逆に入れ替える。三日目にはドライブチェーンを新品に変える。四日目にはリアタイヤを新品に変える。すべて毎朝の持ち時間の20分以内に自分で作業する。

 

 気候も厳しい。5月だというのに、6日間のうち僕が出場した年は2日間が底冷えのするみぞれ混じりの雨だった。標高が高いところには雪も残っている。雨の中の高速走行が体には一番つらい。セクションで汗だくになった後の体が極度に冷えるからだ。平坦路では体を小さく屈めてからだが冷えないように保つ。左手はエンジンに当てて暖をとることができるが、右手のフルスロットルはゆるめることはできない。高速走行区間はタイムを稼がなければならないところだ。顔にはみぞれが吹きつけられるが、これはどうすることもできない。

暖かい国から来たスペイン人の世界チャンピオンは、この過酷な寒さの中で競技をする意味が理解できずに腹をたてていたが、イギリス人はこの辛さを楽しんでいるように見えた。僕も三日目くらいから、辛い楽しさがわかるような気がしてきた。

 

 辛くても順調に毎日をこなしていたが、五日目にアクシデントはやって来た。それはフェリーに乗って渡った島での出来事だった。

その日のコースは途中から対岸の島へ渡ることになっていた。桟橋に着くとフェリーの姿はなく、オブザーバーのおばさんが待っていてくれた。

「ウィスキーの醸造所があって羊がいるだけの何もない島よ」とそのおばさんは言いながら僕のタイムカードに到着時刻を書き込んでくれた。フェリーの待ち時間をゴール後に差し引いてくれるのである。島に渡っても風景は広大だった。五日目になってコースにも慣れて、風景に目をやる余裕も出てきていた。それで油断していたのかもしれない。

山を越えて泥の斜面を下っている時にフロントタイヤが軽く流れた。しかし、甘く見たのか、なぜかとっさに対応しなかったのだ。体力を温存させようと労力を惜しんだのかもしれないし、少しくらいのアクシデントを楽しみたいような気持ちがあったのかもしれない。まだ引き返せると思っていたのにマシンは思わぬ方向に流れていき、行くべきコースとは反対側の斜面に尾根から下まで滑り落ちてしまったのだった。

そこから落ちた斜面を登ってコースに戻ることはもう不可能だった。大きく迂回するしかない。コースを見失ってタイムオーバーの可能性が出てきた。60分遅れると失格なのだ。

 コース上にはオレンジ色の旗が立っている。その旗を探してしばらく闇雲に走っていると、平原の彼方にその旗を見つけることができた。コースを多少ショートカットしてしまうが、遅れを取り戻すためには仕方ないと考えてそちらに向かった。そこに落とし穴があった。平原に見えていたのだが走ってみるとそこはヒースの堆積した沼地だった。水が見えなかったのだ。初めは水に浮いた草の上を走っていたがそのうち潜り始めて最後には完全に水没してしまった。水から出ようともがいたが、沼に浮かぶヒースの上でマシンを引き上げようとすると自分が沈み、自分が上がろうとするとマシンが沈んだ。どうにも上がれないことが分かった。コースから大きく外れていて後続車が来る可能性もないため助けを呼ぶこともできない。完全に終わったと思った。

 

沼から這い上がろうともがいているうちはタイムオーバーで失格になることばかりを心配していたが、もがくことをやめてふと気がつくと、もはや心配するべきなのはタイムオーバーではなく自分の命だった。緯度が高いため、まだ日は高いがもう夕刻だ。日が落ちたらどこまで気温が下がるのかは知らなかったが、全身ずぶ濡れで凍るように冷たい沼地で夜をやり過ごすことができるとはとても思えなかった。

放心状態で途方に暮れていると信じられないことが起こった。一般車両が視界に入ってきたのだ。あんなところに道があるとは思わなかった。5日間走って一般車両にすれ違ったことなんか一度もなかったのだが、正規のコースを外れたために道路の近くに来ていたのだった。両手を振って叫ぶと、その車はこちらに気がついてくれた。

 車に乗っていたのは島のウィスキー醸造所で働いているという二人の初老の男だった。どう言って助けを頼もうか考えたが、こんなに冷たい水の中に入って来てもらうように説得することは言葉が通じたとしても難しいことのように思えた。こちらがそう考えていると、ひとりの男が何も言わずに着ていたオリーブ色のレインコートを脱いで水の中に入ってきた。その男が水中で支えになってくれたおかげで、マシンをようやく水から引き上げることができた。しかし水をたっぷり吸い込んでしまったエンジンはキックペダルを踏んでも始動しなかった。

水を吸って動かないマシンのエンジンシリンダーからプラグを抜いて、マシンをひっくり返してキックペダルを動かすとエンジンから勢いよく水が吐き出された。それからエアクリーナースポンジの水を絞り、ライターを借りてプラグを乾かして取り付けてからキックペダルを踏むとエンジンはようやく息を吹き返した。

「これでレースに復帰できる」

そう思った途端、目の前にずぶぬれの初老の男が寒さに震えながら立っていることに気がついた。僕はこれからまた汗だくになって走るのだからいいが、この男はこれからどうなるのだろう。感謝の気持ちを伝えることも、ずぶぬれの男を気遣う言葉もわからず、僕は彼を置き去りにして行くしかなかった。

立ち去りがたく思っていることを察したのか二人は、

「お前、俺たちに感謝しているならパブでウィスキーをおごってくれ。それこそが最高の礼だ」とか言いながら車のエンジンをスタートさせた。そして「これから港のパブに飲みに行くところだったんだ」と言って行ってしまった。

コースに復帰した僕はフェリーに乗って島を後にした。フォートウィリアムの街まで帰ると、奇跡的にタイムオーバーにもなっていなかった。

それ以後はトラブルもなく6日間を完走することができた。

 

あれから25年が過ぎた。今ではトライアルに夢中になっていた日々を思い出すことはあまりない。オートバイのことはもうみんな忘れてしまった。しかし、ウィスキーを飲む時はあの島のことを思い出す。あの島で作られたスコッチには、ヒースが堆積してできたピートを掘り起こして、それを燻して香り付けがしてある。そのピートを掘り起こすことが彼らの毎日の仕事で、僕はそのヒースに埋まったのだった。だからそのピートを燻した香りを吸い込むたびにあのときの二人のことを思い出しては自分の体の奥の方から熱いものがこみ上げてくるのを今も感じることができる。

 あのとき彼が凍るように冷たい水の中になんの躊躇もなく胸まで飛び込んできてくれた瞬間のことを僕は忘れることができない。

あの気温の中で氷水に浸かった彼は、決して若くはなかった。彼が僕と別れた後で無事だったのかどうかはわからない。

あの時、彼にはなぜあんなことができたのだろうとあれからずいぶん考えた。

「自分たちが見過ごして行ってしまえば、この東洋の若者は今夜ここで死んでしまうな」

そう考えることで彼は冷たい水の中に入ることができたのだろうと若かった僕はずっと考えていた。しかし、長い年月が経ったあとで僕の脳裏に焼き付いている彼の振る舞いを思い出すと、あの時の彼にそんな計算は何もなかったことが今でははっきりとわかるようになった。

 

自分の身の危険を顧みずに人を助けるということは本能的な行為で、僕たちは皆そういうふうにできているのだと思うようになった。

10年間かかって、スコットランドまで行って、僕が手に入れたものはこのことだとはっきり思う。