エッセイ

ヤナダくん

保育園から中学校まで一緒だったクラスメイトにヤナダという男の子がいました。

僕はヤナダが嫌いでした。

体が大きくて乱暴で、ルールは守らないし、一緒に遊んでいても人を殴ったり、給食のときにはバナナを取られたり、そんなことばかりでした。中学になっても授業の邪魔をしたり、人に嫌われることを繰り返していました。

みんなが高校受験を意識しだした頃、あいつは進路希望を書く紙に「関東◯○連合」と書いていたけれど、あれはたぶん暴走族の名前です。

お母さんたちが集まるとよく話していたのは、「あの子の親はいったいどんなしつけをしているのかしら」ということでした。

「もうすぐ高校受験なのに、あの子がいると勉強が遅れてしまう」という父兄からの苦情もあって先生たちもヤナダの扱いに困っていました。

「親が子どもに無関心だからしょうがない」とみんなが思っていました。

 

ヤナダの家族が住んでいたボロボロのアパート(1970年代の下町の家はみんなこんなだったけど)は、通学路の途中にあって、よく目にしていました。

窓にかかっている破れたカーテンを見るたびに、ヤナダのお母さんに向かって「もっとちゃんとしてくださいよ」と言ってやりたい気持ちが起きました。

ヤナダさえいなければどんなに平和かということをよく思っていましたが、中学を卒業するとそれきり会うこともなく、どうしているかも知りたくないし、まったく思い出しもしませんでした。

 

それから30年が過ぎて実家に帰ってたまたま中学校の近くをぶらついていたときに、ヤナダの住んでいたアパートがまだそのまま残っているのを目にして驚きました。周りの家はすべて新しく建て替えられているのに、そこだけタイムスリップでもしたかのように、当時すでにこれ以上ボロくなりようがないと思われたままの景観を保っていました。

もう誰も住んでいないようでしたが、あのときと同じ錆びたトタンの壁に開いた窓には、まだ破れたカーテンがかかっている気がしました。

 

それからしばらくして、どこかのお母さんが中学生のひとり息子を連れてやってきました。整体操法を受けたいというその親子を一目見て、僕は「ヤナダが来た」と思いました。その子の面構えや仕草、そしてなによりお母さんと並んでいる雰囲気が30年前のヤナダにそっくりだったのです。これはヤバイのが来たなと思いました。

 

初めて操法を受けてもらうときに、体について気になっていることをカードに書いてもらうのですが、お母さんは「二人とも体は丈夫でなんの心配もないです」と言いながら、学校で先生から叱られてばかりいること、友達と仲良くできないこと、父親が酔って暴力を振るうこと、自分が夜も仕事があって夕食を共にできないことなどを、細かい文字でびっしりと書き込んでいました。

そこに書かれている内容は、みんな昔のヤナダの身の上に起きていたことと同じことばかりでした。僕は、「こんなことは、もうみんな知っている」と思いました。

はじめて知ったのは、ヤナダのお母さんも息子をこんなに心配していたのだろうということでした。

 

その子の操法をすることになって、初めてヤナダの味方になる気分を知ることができました。

こちらが味方になると決めてかかると、その子は拍子抜けするくらい素直でした。

そして、いつも殴られていた中学時代の僕が、ヤナダに対して疑問に思っていた「なぜ君は友達に暴力を振るうのか」をその子に聞いてみると、

「だってあいつらはみんなオレのことが嫌いだからだよ。それに、オレは大学なんて行く気はないのに、勉強できないことがどうしようもなくダメなことだと思っているヤツらとは付き合えないよ」という明確でもっともな答えが帰ってきました。

僕も、「そんなヤツらは殴ってもいいかな」と思いました。

 

僕の個人的な意見ですが、意識というものはみんな同じものを持っていて、それが経験や環境の違いによって個性となっているだけなのではないかと感じています。

同じような経験をしていれば同じような意識を持っているような気がします。だからこの親子を本当にヤナダの親子だと思って接してしまってもなんの問題もありませんでした。

 

もしも本当にヤナダのお母さんが操法を受けに来てくれたら、僕の頭には「あなたのことをずっと悪く思っていてごめんなさい」という言葉が浮かぶと思います。そして、それを思いながら口には出さずに操法をしていくと思います。その方が伝わるからです。それはヤナダのお母さんが、ずっと聞きたかった言葉ではないかと思うのです。

だから、そのお母さんに同じことをしてみました。

お互いになんの違和感もありませんでした。