エッセイ

「お母さん、ぼくをみて」

末期ガンの50代の男性を病院に見舞ったときの話です。

入院中の彼は、妻に向かって「今日は帰らないで、そばについていてほしい」と真剣な眼差しで頼んでいました。それは、長い間思いつめていたことを、死期が迫ってきたことでやっと口に出せた言葉のように僕には聞こえました。

しかし、看病に疲れた彼の妻の耳にその言葉は届きませんでした。

「あなたのための洗濯物だって山ほどあるし、そんな暇はないわよ」という言葉に続けて、彼女は、自分がどんなに毎日、どれだけ家事に追われているかを説明し始めました。

そして、自分が家事に専念することが夫に尽くすことなのだとわかってもらえばいいと思っていたようでした。

妻の献身ぶりを聞かされてぐうの音も出なくなった彼はがっかりしてしまいました。心で納得していないのに、頭で納得してしまった彼は、もう不満を爆発させる力も残っていなかったらしく、がっかりしたまま数日後に亡くなっていきました。

 

「洗濯物ではなく、ぼくに気を向けてほしい」というのが彼が望んでいことだと思うのですが、こんな単純な言葉さえ出てこないほど、人はいくつになっても自分の心がわからないのです。

彼が死ぬ間際にやっと辿り着いた「ぼくをみて」という言葉は、子供の頃からずっと誰かに向かって言いたかったことなのだと思います。