エッセイ

岡島先生からの独立

野口整体はなかなか教えてもらえないことで有名です。

本格的に整体を学びたいなら整体協会に行くべきだと思うのですが、僕が野口整体を学ぼうと思ってようやく探し当てたのは、野口晴哉先生が亡くなった後、ヨガと整体を組み合わせて独自のスタイルを追求したために整体協会を追われた岡島瑞徳先生でした。ヨガと整体の組み合わせはとても説得力がありましたが、それ以上に岡島先生の生きる姿勢(それは野口先生のことが好きでたまらないという匂いがプンプンしました)が何よりも魅力的でした。先生に接するために道場に通うことは、これから自分の生き方が変わっていくという期待に満ちていました(実際に大きく変わりました)。しかし岡島先生もまた、簡単にはものを教えてくれませんでした。

 

僕が岡島先生の道場に毎週通うようになってから正式に研修生になって弟子入りを許されるまでには三年かかりました。州子とはそこで出会いました。二年先輩の、つまり姉弟子でした。

それから何年か過ぎて州子が会の指導員として活動を始めるようになると、州子は先生に「将来は地元で支部を作ってスタッフとして活動してください」と言われました。「あなたには人が集まるから、あなたに集まってしまう前に支部にしておいたほうがいい」と釘を刺されたのです。

州子はその時すでに多くの人を集めて活動してしまっていたので大変困ったことになりました。

自分に集まる人たちと、岡島先生に集まる会員さんは違うのだという現実が現れました。

 

岡島先生の主宰する「中心感覚研究会」という組織は全国に多くの会員さんがいて、地方ごとにいるスタッフたちが地域の人をとりまとめて先生の訪門を準備して待っているという状況でした。

僕たちは自分たちのところに集まる人たちに自分たちで向き合いたいと思っていたので、会のスタッフになって支部を運営することは望んでいませんでした。

自分たちの道場を持つには会から離れなければならないことになりました。

 

困惑する僕たちの気持ちを汲んでくれた先生のパートナーの由紀子さんが、忙しい先生のスケジュールを調整して経堂の寿司屋で四人での会食の席を設けてくれました。「会から離れて独立したい」という自分たちの気持ちを聞いてもらったあとで返された言葉は「君たちに伝えてきたことは、会にとっては門外不出の秘伝なんだよ」というとても重いものでした。

こちらが「脱会」という話をしながらも、先生はその席の四人が抱えていた「離婚、再婚」の問題について(先生も僕も、まだ元の奥さんとの離婚が成立していなかった)、「どちらか先にこの問題をクリアしてきちんと入籍できた方のペアが、またこの寿司屋で寿司をおごることにしよう」という提案をしてくれました。再会の約束をして別れるかたちでした。

しかし先生と由紀子さんは、その翌日からスタッフや会員の人たちとスリランカへ旅行に出かけ、そこでスマトラ沖地震の津波に遭遇してしまいました。先生は深い傷を負って帰国しましたが、由紀子さんをはじめ、他の多くの方たちが帰りませんでした。

中心的スタッフの大半と多くの会員さんを亡くして、会は存続の危機に直面することになりました。その状況の中で僕たちは会を離脱しました。僕たちには自分たちの場がすでにあって、目の前の人たちに向き合うことに夢中で、自分たちの選択の是非については振り返る間もありませんでした。津波で傷を負っていた先生は三年後に亡くなり、会は消滅しました。

先生の期待に添えなかったことをそのとき初めて悔やみました。

 

それ以後、「教わったことを軽々しく口にしない」ということが、稽古を共にさせていただいた日々を薄れさせないための縛りになりました。特に人に伝える時に封印しなくてはいけないものは確かにありました。

しかし、組織に属さず自由な心を持って生きることの意味を身をもって教えてくれたのは、他ならぬ岡島先生です。自分たちの信じることの貫きかたを学んだのだと思えるようになったのは、やっと最近です。

そろそろ僕は封印を解いて自分の言葉で語り始めようと思っています。