エッセイ

骨盤の打撲

その5才の男の子は、買ってもらったばかりのローラースケートを抱えて、舗装工事が終わったけれどまだ開通していなかった環状7号線のアスファルト路面を目指して歩いていました。先に来ていた友達が楽しそうに滑っているのを見て、自分も同じように滑れると思いました。

だから初めてだったのに、なんのためらいもなく勢いよく走り出して、そのまま足をすくわれたように後ろに思い切り転んで、かなり強く骨盤を打ちました。

目から火が飛ぶというのを生まれて初めて経験しました。お尻の穴が裂けてしまったような激しい痛みがありました。転んだとき、なにかが壊れる音がしたようにも思えました。なにが起きたのかはわからなかったけれど、大切な花瓶を割ってしまったような、取り返しのつかないことをしてしまったことだけははっきりわかりました。

立ち上がって歩こうとしたけれどうまく歩けませんでした。骨盤を打ったため、足が開いてしまったのです。出産直後の女性のよう(とは思わなかったけど)に、ガニ股でゆっくり歩いて帰りました。

来るときはまったくその重さを感じなかったローラースケートが、帰りはとても重くて持ってられないと感じたのが不思議でした。

 

そのまま何日かうまく歩けなかったけれど、股の痛みは引いていきました。

何ヶ月かして、歩いているときに、右足のつま先が外側に向いていることに気がつきましたが、あのときの打撲と関係あるとは思いませんでした。

それから、電話をしていて右の耳がよく聞こえないことに気がつきました。受話器を右の耳に当ててもよく聞こえないので、それ以来ずっと、受話器は左耳に当てるものになりました。

小学校に上がる頃になると、中耳炎を頻繁に繰り返しました。もちろん右の耳です。

2年生のとき、右上の前歯が生え変わりましたが、ありえない角度で出てきて、歯科医院で矯正してもらいました。

3年生のとき、おしっこをしていて会陰(肛門の少し前のところ)に激痛が走りました。それがローラースケートで打ったところだとは思い出しませんでした。おしっこのときの激痛は、その後もたびたびやってきました。右足は相変わらず外に傾いたままでした。

中学生になって野球部に入った彼は、トレーニングと称して長い距離を走ることが日課になりました。曲がった足が痛み続けましたが筋肉痛だとか成長痛だとかいわれました。

翌年の夏にインキンタムシを経験しました。右足の付け根から陰嚢のまわりの皮膚にわけのわからない猛烈にかゆいものができて広がっていきました。歪んだ足で長距離を走ったため足の血行が悪くなってそういうものができることを知ったのは大人になってからでした。中2の彼は、なにか変な病気になってしまったのではないかという不安に駆られながら、誰に相談することもできず、ひたすらキンカンを塗り続けていました。

25才のとき、普通に走っていて、着地したときに突然かかとが骨折してしまいました。右足です。

翌年、同じような感じで今度は左足のかかとを骨折しました。その後、寝返りも打てないほどの腰痛が起こりました。それはいつまでも続きました。

 

5才のときに起きた、たった一回の打撲が彼のその後の人生にこれだけの影響を与えることになったわけですが、それらの出来事と骨盤の打撲の関係性を知ったのは、彼が30才を過ぎて整体に巡り合ったときでした。

そして、自分の恥骨(左右の骨盤が性器の前で結合しているところ)がずいぶん歪んでしまっていたことを知ります。恥骨の歪みは前歯の生え方に影響することを知ったのはそのまた後です。

その後、彼は整体を自分の仕事に選びました。

骨盤を壊した経験は人の痛みを知るために必要なことだったと思うようになりました。

かかとが骨折するほど脆くなっていた原因が骨盤の打撲による足全体の血行異常だということや、腰痛の原因はかかとの骨折による足の歪みだということがわかってきたときは、腰痛から20年、骨盤の打撲から40年が経過していました。

しかし彼の腰痛はいまも続いています。早い時間に床に着いても、夜中の2時に腰の痛みで目が覚めて、5時くらいまで痛い腰を押さえながら布団の上を転げ回って、空が白み始めた頃に疲れ果てて眠ることができるという日がよくあります。

骨盤の打撲をする以前の、5才の自分に巡り会うことができるまで、彼はまだ自分の過去に遡る旅の途中です。