エッセイ

打撲を知る

僕がまだ整体を知らない頃の話ですが、公園の噴水の近くで幼児を連れたどこかの若いお母さんたちのグループが談笑しているのをベンチに座って眺めていました。

 そのとき、一人のお母さんが胸に抱いていた子どもを誤ってコンクリートの上に頭から落っことしてしまったのです。

 ゴトッと鈍い音がして、その場にいた全員が凍りつきました。

そのお母さんは、すぐに子どもを拾い上げて「大丈夫」と言いいました。たぶん自分自身に言い聞かせていたのでしょう。そして「大丈夫」と言いながら泣き出してどこかへ行ってしまいました。

 縁あってその場に居合わせながら、誰もなにもできませんでした。何もできないのもつらいものです。

いまだったら迷わず駆けつけて手を出します。打撲のときに、その場で手を当てることで解消するものがあることを知っているからです。そしてそれは、やり方を知っていればその場に居合わせたお母さんたちにもできることです。それが「打撲の手当て」です。

 

あの親子はあの時どこに行ってどんな処置をしたのだろうとあれからなんども考えました。

病院に行って検査を受けて、頭蓋骨が陥没したり脳内出血といったことがあれば外科手術を受けたでしょう。そういうことがなければ、たぶん冷やされて、腫れが引いたら終わりという処置でしょう。いずれにしてもなんらかの影響がその後も残ったと思います。

 

衝撃的だった噴水での目撃から30年たって、現在の僕は毎日子どもの頭に手を当てています。あのとき僕の目に焼き付いてしまったものをいまだに追っている気がします。

あのときのあの子のその後の人生にどういうことが起きているかも想像できるようになりました。