エッセイ
「愉気便り」、再び
会員の皆さんに毎月お届けしている小冊子のタイトルを「くらしの整体」から再び「愉気便り」に戻すことにしました。
1年半前に「愉気だより」という名称をやめて「くらしの整体」にしたわけは、愉気という言葉が世間にまったく知られていないのに、僕たちが平気で使っていることは不親切なことかもしれないと半分くらいは思っていたからです。
半分というのは、うちに整体操法を受けに来る人には、「体を治してもらおう」とも思わずに純粋に愉気を受けに来てくれる人たちがいる一方で、痛みが取れたり病気が良くなるような実用的な効果を求めて整体操法を受けに来ている、愉気を知らない人がやはり半分はいると思っていたからです。
愉気を知らない人をつかまえて「愉気とはなにか」などとややこしいことを説明するのも押し付けがましいと思っていたので、何も知らない人には整体の実用性をありがたがってもらうだけでもいいと思っていたのです。
それで、野口整体を知らない人にも疎外感を与えないようにと、操法や講座のなかでも愉気という言葉を使わないようにしたり、違う言葉を使って説明したりしようとしてきました。
そして、「ここを押さえると~がよくなりますよ」というようなハウツーを操法や講座で伝えたりしようとやってみましたが、結局、愉気なしではなにもできないと思うようになりました。
痛みが取れればいいと思っている人に体の調整方法だけをいくら伝えても、ハウツーだけでは体は一向に良くならないのです。
物事が良い方向に向かうかどうかを決めている「気のありかた」を理解していくことが先にないとハウツーが生きてこないのです。それは、ずっと先の将来につながる向かうべき方向が見えないでやっているからです。
愉気を知らない人に愉気とは何かを話さなかったことの方が不親切だったと、いまは思います。
気というものは、それだけで存在することはできません。必ずなにかにくっついています。
身の回りに当たり前にあって、物事が働くときにはっきりとその姿をあらわします(それでも目には見えないのですが)。
邪気が体に病を作るものなら、愉気は体が良くなっていくときに身の回りにあるものです。それは病気が治るというだけではなく、仕事がうまくいくとか、夫婦関係などの人間関係の間にもあります。
愉気とは、整体創始者の野口晴哉先生の造語です。
はじめは、気を送るという意味から「輸気」だったのですが、一方通行な感じがどうにもしっくりこなくて愉気にしたそうです。
「愉しい気」で相手を包み込むような意味でもありますが、「愉」という字には「光源のない光」という意味もあるそうです。直接的な刺すような光ではなく、障子や磨りガラスを通して差し込む光のような、優しく包み込む、影を作らない拡散光のことです。フェルメールの絵画に描かれている人物(「牛乳を注ぐ女」でも「真珠の耳飾りの少女」でも)は、みんなこの光の中にいます。
愉気というのは、何かがあった時にそれを解決する方法というよりは、一見なにもない日常の生活を満たしているもののことだと思うのです。
なにもしていない時に自分が人に与えてしまっている影響のことや、自分のありかたのことです。
結局、僕たちのやっている操法は、病気治しではなくて愉気なのです。
手を当てて相手に気を送るという行為だけを見れば「手当て」と呼ばれるものと同じように思えますが、それを行うときの心の持ち方は手当てとはずいぶんと違うものです。
体が良くなるために、「これをしたらこうなる」というような結果を求めて手を当てるのではないということです。
悪いものを退治して健康を手に入れるという発想でやっていたのでは、クスリ漬けの現代医療もビワの葉を貼る自然療法も一緒です。そんなことをしなくても人は本来元気でいられるものだということをつたえたかったわけですが、野口先生が新しい言葉を作らなければならなかったわけは、それを言い現わす言葉が存在しなかったからだと思います。世間がまだ知らない思想を言い現わしている言葉などあるはずはありません。
僕たちが整体の仕事をする上での役割というものは、この愉気という言葉に込められた意味をどれだけ見つけて取り出して人に伝えることができるかということだけだと思うのです。
そのために講座や稽古会で愉気を体感してもらうことに力を入れてきたのだし、「愉気だより」は愉気を物語に乗せて届けるものだったのだと思います。
州子と僕が整体を始めてから今年で20年になります。
当初は、技術があれば人は集まるものだし気が集まっていれば人は絶えないものだと信じて道場をスタートしましたが、おかげさまで本当に多くの人に支えられながらこれまでずっと経験を積んでくることができました。今から思えば自分たちはツイていたのだと思います。
当時の自分たちの技術レベルで、なぜあれほど自信を持ってやっていたのかが今から思えば不思議なくらいです。
頭痛や腰痛といった痛みを抑えるだけでなく、風邪をひいたり下痢をしたりといった体が良くなる時に起こる反応を起こさせたり毒素を排泄させる誘導も、師匠から教わっていたことを試すとびっくりするほど人の体が変わっていきました。
はじめは自分たちにどうしてこんなことができるのかが不思議でしたが、病院で治らないと言われてサジを投げられたようなひどい体の人や手術しなければ治らないと言われた人を治すことが面白かったし、そういうことに興味がありました。そうやって結果を出して実力を誇示したかったのです。
教わったことをそのままやっていただけなのに、それを自分たちの実力だと勘違いして調子に乗っていた時期でした。
「君たちが今やっていることや、僕が教えたことの意味がわかるのは20年先だよ」と、師匠の岡島先生に言われたのもその頃です。
僕は、先生のそばでいつも操法を見ることができたのですが、先生の操法はあちこちをちょちょっと触って10分ほどで終えてしまうのです。僕にはそれが理解できずに不満でした。なんでもっと体が変わるまでやってあげないんだろうと思っていました。
「操法の時間の中で治すのではないんだよ」と、岡島先生は言っていました。
「それより大事なことは、気が通ることだよ」
愉気の方が大事だという意味が、僕には経験が足りなくてまだよくわからなかったのです。
僕だって愉気は教わった通りにやっていると思っていたので、すぐに効果を出せることが成果であり、それが実力だと思っていたのです。
そうやって目前の人の苦しさに心を合わせながらがむしゃらに突き進んできてしまった感じです。治したい気持ちを捨てられるまでには実際に多くの人たちの苦しみに付き合うという経験を積むことが必要だったのだと思います。
気の通り方で、人が将来どうなっていくかがわかるためには、長い時間をかけて人を見る必要があったのです。
しかし、同じことを毎日20年もやっていれば違った形でものが見えてくるものです。
相手を治してあげたいという気持ちの正体とは、相手が良くなっていくことを信じきれていない自分の心のなかにある不安なのだと思います。
そうやってこちらが相手を治してあげようとしているうちは、相手が体のなかに内包している、良くなっていくために必要な力を見つけることができないのだといまでは思います。
道場をスタートした時から、愉気の仕方を人に伝えることはしていました。
「愉気の会」という稽古会や研修生とする稽古は自分たちの稽古でもありました。
そうやって愉気を人に伝えているなかでは、僕には「それは違うよ」と思える考え方をする人が現れては去っていくことが繰り返されました。
愉気とは、自分自身だけではなく、身の回り全体の本性を満たしていくことで調和を取り戻して良い方向に誘導するのが本来ですが、利己的な目的に使おうとしても効果を発揮してしまうものです。だから愉気とは何かと言う部分で考え方が違っていたら一緒にはとてもできません。気の質がまったく違ってくるからです。
よく他の療術をやっている方が稽古に参加してきますが気の違いは一目瞭然です。
古くからある療術には様々な流派があって、やっていることはとてもよく似ていても気の質が全く違うのです。そういう人が来た時に「あなたは◯◯整体の人ですね」というと、「なんでわかるのですか」と不思議がられますが、「まったく違うから」としか説明できません。人を治そう治そうという思いが強い気は、僕たちにはうるさく感じられてしまいます。
それから、整体を本で勉強しているという人が多くいます。いろいろなことをよく知っているのですが、知識が先行して気を練ることが後回しになっています。僕たちの頃とは時代が違うのかもしれませんが実に理解に苦しむ話です。知識ばかりで気がない整体なんて冗談にもなりません。そういう人に接した時に、気というものは人から人へ直接伝わるしかないものだということがはっきりとわかります。
そういった、愉気に対するいろいろなことが積み重なってきて、ようやく愉気についての自分たちの考えがまとまってきた感じがしてきたところ、昨年末にある出来事がありました。
生前の岡島先生からずっと愉気を受けていたという女性が僕たちを訪ねてきてくれたのです。
その方は、息子さんを出産した後から操法を受け始めて、その子が高校生になったときに岡島先生が亡くなるまで、月に一回のペースでずっと家族で操法を受けていたそうです。
その方達の操法をすることになりました。
体に触れてみて愕然としてしまいました。
こちらが愉気をするというより、その方を通じて師匠の懐かしい気がこちらに入ってくるのです。師匠が亡くなってからずいぶん経つのですが、気というものがこんなに長く人の体を満たすものだということを初めて知りました。20年かかってようやくこれが感じられるようになったのだと思いました。州子など愉気をしながらもう泣いちゃっています。
「求めているものは必要な時に向こうからやってくる」といつも言っていたのも師匠ですが、自分たちが迷っているこのタイミングでやって来られて、探していた答えを突きつけられた感じがしました。
愉気を人に伝えることを迷っていた自分たちのことが恥ずかしくなって、その夜は州子と二人でしんみりしてしまいました。
翌日、長女の春香に愉気をしてみました。
今まで気がつかなかったけれど、娘のなかにも師匠の気はありました。
そういえばうちの娘たちも出産前から月に一回のペースで師匠に愉気を受けていたのです。それを忘れていたわけではないけれど、あらためてそれに気がつくことができました。
春香が高校を中退した時に師匠から受けた操法の中で師匠が言ってくれた言葉を、当時の僕たちは意味がわらないでいましたが、ああいったものがずっと彼女の中で育っていることを思い出しました。
愉気は、それがどういうことにつながっていくのかがそのときにはまだ見えません。
それは植物が成長していることが目に見えないのと同じことだと思います。目に見えなくとも確実に変わっていますが、それがわかるのはずっと後になってからです。
そして、たねを蒔いたら芽が出ていないかとすぐに掘り返してはいけないのと同じで、愉気に即効性や効果の高さを求めると、気はなくなってしまいます。
むかし、野口晴哉先生のところに小児麻痺の子供を持った二人のお母さんが来ました。野口先生は、そのお母さんたちに愉気を教えました。そして毎日、子供にこれをしてあげなさいと言いました。
一人のお母さんはわけもわからず、でも教わった通りにずっと続けましたが、もう一人のお母さんはなかなか効果があらわれないのでそのうちやめてしまいました。
20年後に二人のお母さんが再会した時、愉気をやめてしまった子供は当時のままで大人になっていましたが、愉気をしていた子供は普通の人になっていたそうです。
愉気をやめてしまっていたお母さんは、二人の子を見較べてとても後悔したそうですが、愉気をしていたほうのお母さんは、自分の子供がこんなに良くなっているなどと思わないで愉気を続けていたのだと思うのです。
数年前、僕は育児中のお母さんたちを集めて育児講座を始めました。
愉気というのは、お母さんが子供に対する心そのものだからです。無償の愛というものです。
そのお母さんたちに愉気の仕方を伝えようとしたのですが、講座に集まったお母さんたちはみんな整体の講座といえばケガや病気の対処の仕方を教わるものだと思っていました。
「そういったハウツーは必要ないんですよ」と言っても、みんな首をかしげるばかりでした。
育児講座の日程が終わると、即効性のあるハウツーを求めるお母さんたちはもう来なくなりました。そして、その人たちが来るのは自分の子供がケガしたり病気になったりした時だけになりました。
しかし、講座が終わっても愉気の稽古をしようと通ってくるお母さんたちがいました。
初等講座や稽古会で愉気の稽古をしながら、それが何に結びついていくのかがわかってやっている人はいないと思います。稽古してきたことの意味がわかるのは、ずっと後になってからです。
それでも僕には、この数年で、このお母さんたちの振る舞いやたたずまいが変わってきたことが目に見えますし、彼女たちの子供にも落ち着きや変化を感じます。彼女たちがこれから家族や他人に対して何ができていくのかという想像も拡がります。
だから彼女たちに「愉気だけやっていればいいいんだよ」と自信を持って言うことができるし、そのことに揺るぎない確信があります。
お母さんが子供にする愉気とは、何かことが起きてから対処する手当てのことではありません。特別なことが何もない平凡な日常の、家庭生活のなかを満たしていくものこそが愉気です。